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キリンジ「朝焼けは雨のきざし」考察4

久しぶりすぎてブログってどうやって書くんだっけ?って感じです。

今回は、以前考察した「朝焼けは雨のきざし」について、
追加で気付いた点含め、細かいブラッシュアップをば。

(ちなみに以前の記事はこちらです→考察1考察2考察3

大筋は以前の結論から変更はありません。
亡くなった恋人のことを今でもずっと愛し続ける男の話。
ただ一ヶ所、以前の記事から訂正したい点がありまして。

歌詞の中に「昇っては消えていく煙は白く細い糸のよう」という部分があって、
僕はそれを、恋人の遺体を火葬したときの煙、と推測していたわけですが、
もっと相応しいものがあるということに最近気が付きました。

これ、おそらく、いや間違いなく、線香の煙ですよね。

たぶん多くのリスナーはこれを煙草の煙と解釈しているのではないでしょうか。
しかし、「白く細い糸のよう」な煙となると、
線香の煙と考えたほうが、よりしっくりくると思います。

さて、そう考えると、サビの「君の部屋のベルを僕は鳴らすのさ」にも、
違った意味を与えることができます。

すなわち、「君の部屋」とは、
亡くなった恋人を祀った仏壇のことではないかと思うのです。

さらに言えば、「君の部屋のベル」。
鳴らしますよね。仏壇で拝むときに。「チーン」って。
あのお椀の形をした鐘。あれのことではないかと。
(正式名称は「鈴(りん)」と呼ぶのだそう。「ベル」を彷彿とさせます。)

つまり、サビの歌詞は、主人公が恋人のことを思い出しながら、
仏壇に手を合わせているシーンと考えることもできるわけです。

主人公は、実際に恋人の部屋の前まで行って、
呼び鈴を鳴らしていたわけではなかったのですね。
むしろ、一歩も外に出ていない可能性すらあります。


以前の考察も含め、まとめたものを模式図にしてみました。
(画像クリックで拡大)
朝焼け模式図

主人公は運命という名のサイクルに囚われています。
毎朝、早朝に起床し、君の位牌を拝むことが日課となっている主人公。
夕方を過ぎてからが、彼のお楽しみの時間です。
なぜなら、夢の中でなら君に逢うことができるから。
古い音楽を聴きながら、彼は眠りにつきます。
そして、翌朝。
君の夢を見ていたはずなのに内容を思い出せない主人公。
その悲しい気持ちに暮れながら、彼は今日も仏壇に手を合わせます。
そうしていれば、いつか夢の中ではなく、
現実でも死んだ恋人と再開できるかもしれないから…。

といった感じ。こうして見ると、

 君に逢えない=雨
 君に逢える=晴れ

であると言い切ってしまっても差支えない気がします。

これでこの曲については、ほぼ全て説明がついたのではないでしょうか。
では、今回はこの辺で。次の更新はいつになるだろう…。

【追記】
本文では便宜上「君=恋人」としていますが、
「主人公が愛する人」であれば「君」は誰でも構いません。
いや、主人公の部屋に仏壇があることを考えると、
「君」と主人公は家族である(あった)と考えたほうがいいのかも。
とすると、「君」は主人公の妻ということになります。

もう一つ可能性があります。
それは、「君=主人公の子供」というものです。
これについては、歌詞中には何の根拠もないですが、
お好みでそういう解釈もできるということを一応示しておきます。
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キリンジ「ハピネス」考察

キリンジを知らない人にどれか一枚勧めるとしたら、
やはり無難にPDMとかになってしまうわけですが、
本当に聴いてほしいのは、実はFBHLだったりする。

キリンジの魅力である「捻くれてる感」を、
一番ダイレクトに味わえるアルバムだと思うので。

そもそもタイトルからして皮肉たっぷりじゃないですか。
「Beautiful Human」なんて謳っておきながら、
実際には、どちらかと言えば人間の醜い部分が歌われているわけで。嫉妬とか。
まあ、最後の「スウィートソウル」で全てが浄化されるのですが。
そういう意味ではFBHLは曲の配置も秀逸ですよね。

最近リマスタ盤出ましたが、買おうかどうか迷ってます…むむむ。


さて、今回は「ハピネス」。一発で兄の曲だとわかるっていう。捻くり捻くら。
あまりに酷い曲(ほめ言葉)は兄が自ら歌う、みたいな感じなのだろうか。
たしかに、この曲に関しては弟が歌うよりも、
兄の声が合うような気がする。

例によって、「君は誰だ」という謎かけになっているような…。
これは言い換えれば、「主人公と君の関係は?」ということでもありますね。

とりあえず、サビから攻めていきますか。

「ハピネスはピンクのシャンパンの泡のようなもの」
僕はこのフレーズに、二つの暗喩が隠されていると考えました。
グラスにピンクのシャンパンが注がれている状態を想像してみてください。
似てませんか、…ハートに。
ハピネス
「ピンクの~」ってところがポイントです。
しかし、グラスにはひびが入っている。つまり、こういうことです。
ハピネス2
それを踏まえると、サビの歌詞は次のように翻訳できます。
「愛情を一方的にかつ絶え間なく与えられることが幸せだと思ってるの?
僕の君への愛情は、とうに尽きてしまっているのに」、と。

ただ、ここでもう一つ忘れてはいけないのが、「泡」の存在。
これって、バブル景気を指してるのではないでしょうか。

「気の抜ける前にグイッと飲み干して注ぎ足さねばならない」
つまりグラスの中のシャンパンは、常に泡が発生している状態なわけです。
すると、サビの歌詞はこんな風にも受け取れます。
「バブルの頃の贅沢な暮らしを今も続けていくことが幸せだと思ってるの?
バブルはとっくに崩壊してるのに」

これらのことからうかがえる「君」の人物像は、
バブル世代の生き残りおばさん。
「FBHL」が2003年だから、それでもバブルは10年以上前。
バブル時に20歳だったと考えても、30過ぎになる計算です。

「うちの主人は~」なんて言い方も年齢を感じさせますし、
わざわざ「若い歌手に~」と強調しているのも、
暗に「お前、自分の年齢考えろよ!」と主人公は毒づきたいのでしょう。

ということで、「君」は少なくとも30代~40代前半くらいかなと思うのですが、
そうすると、2番の歌詞で少しおかしなことになってしまいます。

「君とママはどこかでディナー
「友達みたいな親子ね。」なんて言ってさ
笑わせるなっつうの!」

ホントすごい歌詞ですが…、それは置いといて。

これは単に僕のイメージでしかないのですが、
ここの歌詞で思い浮かぶのは、20歳前後の娘と若作りの母親が、
仲良くディナーを楽しんでいるような光景なのですが。
しかしそれだと、今まで論じてきた「君」が実は「ママ」のほうであり、
「君」はその娘であるという、矛盾が生じてしまいます。

もちろん、「ママ」が還暦過ぎたおばあちゃんである可能性も否定できません。
でもさぁ、30代~40代の娘とその母親が、
二人で外食しながら「友達みたいな親子ね~」とか、
それこそ「笑わせるなっつうの!」ですよ。さすがに考えたくない。
ここは、僕の主観的なイメージを尊重したいと思います。

ならば、この矛盾をどう解消するか。

…これ、「アレ」が使えるんじゃないですか。
以前紹介した、「もしもの時は」理論
歌詞の1番と2番で、主人公が呼びかけてる相手が違うという。

この手法を使えば、1番の内容は母親について、2番の内容は娘について、
主人公である父親(?)の視点から語られているということになり、
とりあえず、矛盾はなくなります。

…ただね、あまりこの手法は濫用したくはないのよね。便利すぎるから。
どうしても都合のいい解釈になっちゃう。
それに「もしもの時は」では、「人称を変える」というヒントがあったからこそ、
その手法もギリギリ成り立っていたようなものなわけで。

うーむ、どうしたものか…と、そこまで考えたところで、今唐突に閃いた。
曲の時代設定を「現代」ではなく、「バブル最盛期」くらいにすればいいのか。
「ハピネス」で描かれていたのは、実は1990年頃の日本であった、と。

そうすれば、「君」は20代の若奥様でも通る。
ので、1番と2番で歌詞が矛盾することもない。…ってのはどうですか。

「グラスに皹が入ってるのに」とは、
「この好景気も長くは続かないだろうに」という未来の日本の予言です。
主人公が先見の明を持った、聡明な男性であることがうかがえます。
彼にしてみれば、「君」のような女はさぞかし馬鹿な女性に見えたことでしょう。

一応結論は出たかな、今回はこんなところ。


最後に。実は、この曲がどういう意図で作られたのか、
書籍「あの世で罰を受けるほど」の中で、兄自身の口から語られているのです。
180ページに詳細がありますが、簡潔にまとめると、
親離れ子離れのできない友達親子を徹底的にいびってやろう、ってことらしい。

…兄だなぁ。ホント好きだ、その感性。

キリンジ「ロマンティック街道」考察

僕がキリンジを知ったのが、ちょうどこの頃、
「ロマンティック街道」のシングルが発売された時期だったこともあってか、
この曲には、個人的に結構思い入れが強くて。

ただその割には、歌詞のほうはあまり深く考えず、
マリッジブルーの歌ぐらいにしか思っていなかったのですが、
昨日カラオケでこの曲を歌っていたら、
「なるほど、こういう曲だったのか」と合点が行きました。

まあ、すでに同様の解釈をされている方も少なからずいるようなので、
単に僕が気付くのが遅すぎなだけなのですが。発売されて7年ですからね。

なもんで、今回は僕だけの勝手な妄想というわけではないので、ご安心を(笑)。
どちらかというと今回は解説をするようなスタンスに終始したいと思います。


まずこの曲に登場するのは、「僕」と「君」の二人だけ、ではありません。
それを物語っているのが、ここの歌詞。

 「なぜ週末の結婚講座に 仕事を入れるの
  ドレスもリングも婚約者も 君を待ってるのに」

ここの解釈の仕方で、内容が180度変わることになります。

登場人物が二人だと思っている方は、
おそらくこのように訳しているのではないでしょうか。
「結婚式も近いのに、なんで、君は僕のことを待たせるの?」、と。

しかしそれなら、なぜ「ドレスもリングも僕も 君を待ってるのに」とせずに、
わざわざ「婚約者」なんて遠回しな言い方をしたのでしょうか。

それに答えるためには、ここで発想を転換させる必要があります。
「僕」と「婚約者」はまったく別の人物である、と考えてみるわけです。

その場合このシーンは、語り手である「僕」が、
「婚約者が待ってるんじゃないの?行かなくていいのかい?」、と、
「君」に向かって問いかけているという状況になります。

つまり、この曲に登場するのは、「僕」「君」「(君の)婚約者」の、
実は3人であるということが言えるわけです。

この仕掛けが、この曲のほとんど全てと言ってもいいと思います。
やっぱり兄はすごいゎ。手法がまんま叙述トリックだもの。
ミスリードがこれまた秀逸で、3人の登場人物のうち、
曲中に実際に登場するのは、あくまで「僕」と「君」だけで、
「婚約者」に関しては、「僕」のセリフの中だけにしか登場しないという周到さ。
これが、「登場人物が2人だけ」という錯覚を引き起こしているんですね。

さて、この仕掛けによって何が言えるのかというと、
「君」が、実は二股をかけていたということです。
しかもその本命は、「婚約者」ではなく「僕」のほう。
だから、「茨の」ヴァージンロード、というわけです。
マリッジブルーの理由も同様ですね。
ちなみにワインディングロードとは、曲がりくねった道路のことです。

自分が本当に愛しているのは婚約者ではなく別にいるのだけど、
その気持ちをクローゼットの中に仕舞いこむ。
誰にも知られないように。

「もうすぐ木の葉を真似する蝶になるんだね」については、
単純に考えれば、蝶のように華やかだった「君」が、
木の葉のように貞淑な妻になろうとしている、ということだと思うのですが。

「人目をはばからずキスしてくれたろう」や「踊りつづけよう」から、
「君」が、性に対してわりと開放的な人物であることがうかがえます。
「蝶」というのは、暗にそういう意味も込められているのかもしれません。
となると、逆に「木の葉」が意味するのは、
今後は自分の本性を表には出しません、隠れビッチとして生きます、と。
「婚約者」がそういうことにうるさい人なのかもしれませんね。

あぁ、だから「last dance」なのか。妙に納得してしまった。
自分の変態的な本性をさらけ出すことができるのは、「僕」の前でだけ。
結婚したら、貞淑な妻を演じなければならない。
だから、最後のダンスは、あなたと…、ってことか。
さぞかし、激しいダンスだったんだろうな。夜明けまでってww

でも、「君の真心はクローゼットの中で育って溢れ出しそう」とあるので、
おそらくこの秘かな関係は、結婚した後も続いていくんじゃないかな。

「羽をひろげようぜ」という誘惑に抗えずに。

キリンジ「奴のシャツ」考察

兄弟キリンジのラストステージを見ていたら、考察欲がふつふつと。

キリンジの曲を考察することに、最近は少しためらいを感じる部分もあって。
「解釈が聴く人それぞれ違うというのはあまりよくないんじゃないか」と、
兄の口からはっきりと語られてしまった以上、
なかば妄想であるとはいえ、ブログの中であることないこと書き散らすのは、
兄の嫌がることをしているようで、気が引けるなぁ、と。

ただ、恐れ多くも兄に反論するなら、
聴いた人が誰もがみな同じ解釈をする、そんな曲は存在しないと思う。
「いろんな人がいて いろんなことを言うよ」、でしょ?
その中には当然、僕のようなひねくれ者もいるわけで。

だから、まあご容赦くださいってことで。
それに少なくとも、「SUPER VIEW」より以前の曲については、
聴き手が自由に解釈することを前提に作られているはずだから。


前置きが長くなりましたが、今回は「奴のシャツ」。

キリンジの楽曲の中でもトップクラスに完成度が高いです。
曲というより、ショートムービーを見ているような感覚。

とにかくね、脳内で再生される映像の鮮明度がすごいのよ。フルHDかと。
姪っこの主人公を小馬鹿にした表情とか、親父の通夜の様子とか、
曲の雰囲気も相まって、一つひとつのシーンが明確に思い浮かぶ。

「この部屋に住む人へ」を聴いていても思うのだけど、
これだけストーリーテラーとしての才能があるわけだし、
個人的には、兄には小説を一遍書いてほしい。一編でいいから。
んで、初回限定版には特典CDをぉぉ…。買う。絶対買うわぁー。


…それはさておき、曲の内容ですが、
まあ、平日の昼間からぶらぶらしているところを見ると、
少なくとも定職にはついてない、下手すりゃニートってことだと思うのですが、
今回はそこからもう一歩踏み込みたい。

そのためには、まず主人公を取り巻く相関図を…と思ったのですが、
調べたら、すでに相関図を作成されている方がいるようで。

なので、そのまま引用させてもらおうとも思ったのですが、
若干こちらの思惑とずれている部分もあったので、
二番煎じながら、僕の考える「奴のシャツ」相関図を作成してみました。

相関図1
(画像クリックで拡大)

括弧で囲ってあるのは、曲中には登場しない人物です。
赤のバツは、すでに亡くなっていることを意味しています。

まず、「継母」とあることから、
主人公の父親は再婚しているということがいえます。
再婚の事情は、いろいろ考えられると思いますが、
僕は、お互い片割れを亡くした二人が出会って云々、ということだと考えます。

(後々の結論のためには、少なくとも、
主人公の実母には死んでいてもらわないと困るのです…すまぬ)

継母には連れ子がいました。主人公と血の繋がらない兄弟です。
この連れ子の娘が、姪っこです。キリンジ曲では数少ない萌えキャラですね(?)。


さて、曲中で親父が死にますよね。
するとどうなるかというと…、

相関図2
(画像クリックで拡大)

主人公の血縁は、一人もいなくなるということになります。

親父の通夜に登場する叔父、
(この叔父も継母の弟であり、主人公とは血の繋がりはありません)
彼が嘆いた「深刻さが足りない」とは、つまりこういうことです。

唯一の血縁である父親も亡くなり、天涯孤独となってしまった身にもかかわらず、
定職にもつかず、結婚もせず、遺産を食いつぶしてその日暮らしをするのか、
そのまま年をとっていったら、いざという時に誰も助けてくれんぞ、と。

くはぁ、自分で書いてて耳が痛ぇ。

ただ、主人公だってそんなことは百も承知だと思うんですよ。
むしろ、一番焦りを感じているのは主人公自身なわけで。
その焦りが見え隠れするのが、冒頭の「継母の従兄弟を訪ねてみる」です。

親父が近々死ぬ。その孤独感と不安が、人に会いたいという欲求に変わり、
遠い親戚を訪ねてみたり、姪の歯医者について行ったり…。
でもその必死な感じって、周りから見れば滑稽でしかなく、
子供心にもわかるのでしょう、姪にまで小馬鹿にされているというわけです。


もう一つの謎、「ボタンを掛け違える」が何を意味しているのか、ですが、
「姿見の前を逃げ出し」が、そのまま答えになっていると思います。

普通は気付くのです。鏡を見れば。自分の着こなしがおかしいことに。
それを直していくことが、すなわち「大人になる」ということです。
けれど、主人公は逃げてしまった。姿見から。自分自身を見ることから。
だから、ボタンの掛け違いに気付かない。

そう考えると、「ボタンを掛け違えたまま」は、
「中身が子供のまま」ということとイコールなのかな、と思ったり。


結論。
「働け。結婚しろ。子供作れ」です。



黙れよ、口封じをしようか。

麻枝 准×やなぎなぎ「Killer Song」考察

「終わりの惑星のLove Song」の楽曲がカラオケで歌えることを知り、
とりあえず何か一曲、マスターしておこうと、
現在、「Killer Song」を聴きこんでいるのですが。



めちゃくちゃいい曲じゃねぇかよ、これ~!!

5分も満たない曲なのに、すごく深い。物語に引き込まれる。
特に最後の伝説のくだりは、聴くたびに涙腺ゆるっゆるですょ。

何がすごいって、
サンホラで多用しているようなセリフやSE等を使うことなく、
ひとつの物語音楽を完成させているということ。
あのRevoさんですら避けて通った方法論で、真っ向勝負を挑んでいる。

そして、このMVがまたいいのよねぇ。
でも個人的には、最初少し面食らったのだけど。
というのも、僕ずっと、「きみ」のことを女の子だと思い込んでいまして。
てっきり、その、百合っぽい話なのかと。

だってさぁ、利用されて、首絞められて、
あげく女の子に守ってもらう男って、どうよ?どうなのよ?

逆にこれが少女なら、物語のガジェット的にはすごくしっくりくるんですよ。
なにより、「盲目」といったら「少女」と相場が決まってるだろ、と。
…あれ、もしかしてこれ、危険な発言しちゃってる…?
いや、あくまでフィクションでの話なので、気を悪くしないでほしいのですが。


あと、歌詞のほうにも、どうしても違和感のある箇所があって。

ラストで「そんな奇跡を起こす恋もある」とあることからも、
この曲は、ある種の「Love Song」になっているはずなのですが。

 「ひとり殺ったらふたりも三人も同じ」

青年のこの言葉、これがわからない。
自分の身を守るために少女を利用しようという、打算的な匂いを感じてしまう。

少女が言うならわかるんですよ。
「何人殺しても同じ、だからきみを守る」で、理に適っているのですが。

でも、守ってもらう側がそれを言うなよ、と。しかも、精悍な眼差しで。
「何人殺しても同じだろ?だから俺を守ってくれ」って、ダメ男すぎるだろ。
普通ならここは、「俺のことはいいから、お前だけでも逃げろ」でしょうに。

ただ、青年を守ることが少女の唯一の生きる意味になっている以上、
少なくともWin-Winの関係にはなっているわけで、
その関係を歪んだ愛として描いているのだろうか…。
あるいは、僕の頭が歪んでいるのか…。

しかし、ここで忘れてはならないのは、
青年には「真実」を見る能力があるということ。
それを踏まえると、また別の可能性が見えてきます。

つまり、戦士として生きる少女の姿が、
ひとつの「真実」として青年の目に映ったのではないか、と。

逆に、戦士としての道を選ばなかったら、少女は殺されていた。
あるいは、歩けないことをいいことに、もっとおぞましい目に合っていたのかも。

そう考えると、一見打算的に思える彼の言動は、
実は、少女にとって最善の未来を、
彼女自身に選択させるためのものだった、ということになります。
それが、青年の少女に対する「愛」であったと。


…ってことで、とりあえず自己完結できた。

次にカラオケに行ったときに、早速歌ってみようと思う。楽しみ。
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